Looking Back

旅と、日常と、韓国ドラマなど。振り返り。

やる気があるのも才能

ピアノを弾いてると驚くほど、考え事をしている。弾くのにちゃんと集中していたら、そんなこと考えられないだろうって思うから、集中していないのかな?

きりがいいところで紙にバーーッと書き出す。頭が整理されている気がするし、普段なら考えられないことも出てくる。でも書いても明日には忘れるから、後から振り返ることが必要。大事だ。

あ〜ハイドンが好きだ。本当はバッハをはじめハイドンモーツァルトの古典派は苦手だけど、あえて積極的に弾くようにしている。
ハイドンは弾いてて楽しい時もあるから、苦手だけど好きだな。心が洗われる。
ドビュッシーは、やっぱり癒されるな。好き。

いつもだいたいクラシック→ポピュラーの順に練習することが多い。クラシックは時代順に弾いたり。ポピュラーは気分で、ジャズだったり最近流行りの曲を弾いたり。

学生時代にもらったジャズの楽譜で弾けてなかった曲をさらおうと、YouTubeで調べてたら、同じアーティストの違う曲で先輩が昔弾いてた曲が出てきて。もう、今の気分にぴったりというか。心がほろっとして泣きそうなくらいいい曲だった。オーケストラバージョンもあったりして。オーケストラでジャズって素敵だな。学生時代の恩師を思い出す。

こんな感じで音楽のことばかり考えてるようだけど、弾きながら、音楽のこともそうだし、全く違うこと例えば過去の記憶や生き方についてや人のことも考える。

音楽のことを考える時は考えるし、考えない時は考えない、テレビでピアノを弾く役の人がいても親近感が湧かないし、自分がピアノを弾くことも忘れてる。

だから、人生の中の一部である。色んな興味がある中で、それでも唯一ひたむきにやってきたことなのかもしれない。それでも生きていたら全てではなくどうしても一部だ。一部といって全部なのかもしれないけど本当は。それは自分がそこに注いできた時間が多いからそこにいる自分は一番自分らしいと思うのかな。それでも全てではなく一部だし一部だし全部。何が言いたいのかわからないけど、そんな感じ。


今日ふと思ったのは(弾きながら)

色んな自分がいるけど、そんな自分の中でも一番自分らしいのが、音楽をしている時の自分だ。それは、さっきも書いてたように、人生の中で向き合ってきた時間が多いからなのかな、というシンプルな考えにも行き着いた。音楽を通して出会った人は、なんだか自分のそのままなのかもしれない。(音は嘘がつけないから、演奏している音こそ本当の自分だ。)

なんて思った発見。演奏の仕事の方にも、早く会いたいなと思った。バイタリティがあって前向きな方が多いから、勉強になるし、そこにいることが楽しい。

もう一つ考えたこと。

自信がなくて、周りを気にして自意識過剰がまたひどくなっている最近だけど、ふと思い出したこの気持ち。

本当に自分が本気で一生懸命にまっすぐに突き進んでいたら、周りなんて気にならない

ということ。

このことをたしか学生時代にも考えたことがあって。そう思ったら無敵になれた気がして。そっか、周りを気にしてるうちは怯えて自信がないからだよね、それなりのことしかできてないということ、本気でやってたら周りなんて気にならないし、気にしてる時間が無駄だなと、当時もなんだか腑に落ちた気がする。

だから単純なことだったみたい。やればできるということ。

あと一つだけ。思い出したこと。

「やる気があるのも才能だよ」

ということをある人に言われた。

ずっと私は才能という言葉に対して疑心暗鬼だった。才能って言うと、特別に偶然与えられたようなもののようだけど、実際はそうでなくて、努力がないとついてこないものだと思うから。 でもこの言葉を聞いた時に、そうか、 そういう意味でも才能って言うのか、と少し考えが広がった自分がいた。誰もがそのやる気を持てるものじゃないし、そのやる気を生かすこともできるとは限らないから。 だから上手なあの人はもっと上手になるんだな。って。 そう思った。

こんな感じで色々考えた。パッと書こうとしたのに長くなった。これでもまだ一部。

まだまだあるから、ずっと話が止まらなくなる。またちゃんとノートにまとめて振り返ろう!と思います。